お別れ晩餐会(1990年4月 62歳)

|
今夜でいよいよ懐かしい済州島ともお別れです。 私にとって、故郷の済州島を再び訪れる事はないと思います。 それだけに最後の夜は別れがいっそう惜しまれました。 晩餐会の場所は、港の岸壁に建ち並ぶビルの1つで、 『三多島』 と言う料理店でした。 ホテルの中にあるレストランと異なって、この店は純粋の韓国式の海鮮料理店でした。 もともと済州島は海産物の宝庫だし、鮮魚だって品数が豊富です。 その夜のメニューは、魚の鍋と刺身がメインでした。 中でも初めて見たものに、タコの足の刺身がありました。 小さ目の蛸の足が、3cmくらいにぶっ切りにされて、皿に入れられているのだけれど、蛸は生命力が強いのか、輪切りにされても生きているようで、ごねごねと動いていました。 日本にもシラウオの踊り食いと言うのは聞いた事が有るけれど、試した事はありません。
私は気持ちが悪くて口にすることは出来なかったけれど、同席していた妹が、勇気を出して口に入れたら、蛸の吸盤が上あごに吸い付いて離れずに困っていました。 結局、誰も食べないので、鍋の中に入れて、茹蛸にして食べました。 楽しい晩餐会の後で、皆は連れ立ってぞろぞろと港を散歩しました。 ほろ酔い気分もあって、懐かしい潮の香がする磯風は、はるか遠い夏に、ここで泳いだ記憶を思い出させてくれました。 戦前のこの辺りには平屋の小屋が岸壁にあったくらいで、港を囲む堤防の突先には小さな灯台があったのが、一望の元に見渡すことができました。 しかし今ではその堤防に沿っても、飲食店や海産物のみやげ物店の屋台が軒を連ね、盛んに呼び声を立てていました。 大小の漁船もひしめいていて、湾内が見えないくらいでした。 誰ともなく、足は堤防の先の方に向かって歩いていました。 幼い日、夏休みになると、夜明け前の早朝にここに集まり、水平線から上る眩しいまでの日の出を拝み、そのあとで上級生の号令に合わせてラジオ体操をしたものでした。 堤防の先の方まで来ると、港の喧騒も届かず、夕暮れの浜辺には昔と変わらぬ潮騒の調べだけが、旅情をしみじみと感じさせてくれました。 無常な潮風は、半世紀ぶりに訪れ、望郷の想い出に浸る私をそっと包んでくれました、 |