消えた母校(1990年4月 62歳)

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三姓穴を出てホテルに帰る道で、誰かが 『ここから小学校は近いよ。 三:姓穴は遠足で歩いて来たところだからね〜』 と言っているのが聞こえました。 確かにその通りです。 大人の足で歩いて行けないはずは有りません。 通いなれた学び舎への道です。 大通りを渡って振り返ってみると、殆どの人が後に続いているのが見えました。 母校に早く会いたいと言う気持ちは誰の心にもあります。 昔、学校の周りにあった道は、2mにも足りないような細い道でした。 細い路地に入ると、昔懐かしい藁屋根の民家が1軒だけ残っていました。 壁は溶岩の軽石を積み上げ、軒の低い藁屋根には網を被せて強風に備えています。 この家の人は貧しくて、家を建て替える事が出来ないのでしょうか。それとも頑なに昔の風俗に捕らわれているのでしょうか。 廃屋のように見えても、確かに人が住んでいる気配がしました。 迷路のようになった道を、あちこち彷徨い歩いたけれど、杳として学校は見つかりませんでした。 皆その小学校の卒業生や在校生だった人ばかりが21人も揃っていて、誰も学校の在り処が確かめられずに、右往左往しているのです。 そのうちに誰かが 「あった〜〜」 と素っ頓狂な大声で言うのが聞こえて来ました。 皆が駆け足で直行しました。 しかしそれは学校ではなく、昔、小学校の校門の前に有った島立病院だったのです。
町に1つだけあったその病院は、誰もが知っています。 そしてその病院の建物も手入れはしているようだけれど、形は昔のままでした。 故郷に来て、初めて昔懐かしい建物を発見したのです。 しかし、その前に無ければならない小学校らしい物は無いのです。 病院の前に有るのは映画館で、派手な看板がかかっていました。 数人が建物の間の細い隙間に入って映画館の後ろを覗いていたようだけれど、広かった運動場も小学校の校舎も無いと言っていました。 数年前に、ここに来た人が写したビデオには、確かに校舎の半分が残っていたのです。 出来る事なら皆と一緒に運動場に立って、漢拏山を仰ぎ見ながら、懐かしい校歌を歌いたいと言う、ささやかな願いは、実現できませんでした。 母校である済州南小学校の校舎は、跡形も無く消えていたのでガッカリしたけれど、とにかく元の所在だけは突き止めたので、それで満足するより仕方ありませんでした。 来た時の勢いは何処へやら、皆一様にションボリして重い足取りで、帰りは大通りでタクシーを拾うと、疲れ果てた感じで宿泊先のカールホテルへと向かいました。 |