西帰浦の町(1990年4月 62歳)

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西帰浦は漢拏山を挟んで、ちょうど済州市の反対側にある島内第2の町で、市制が敷かれています。 観光と漁業に支えられ、特に漁港としては島内で随一です。 済州市から西帰浦までは、1周道路の西回り、東回りの定期バスに乗っても、所要時間はどちらも約2時間20分です。 西帰浦の沿岸一帯は、断崖絶壁や高さ20mの孤岩、ウェドルゲも聳え、魚釣りの名所の島など、変化に富んでいるので、韓国のベニスと言われているくらいです。 私が済州市に住んでいた子供の頃に、漢拏山の後ろに西帰浦と言う町が有ると言うことは聞いて覚えていました。 西帰浦の海岸一帯には帆柱のある漁船がひしめいていて、町もこじんまりとはしているけれど、美しい町でした。 何よりも町の背後に高く聳える漢拏山が印象的でした。 空の青さと遠くに聳えている漢拏山の青さが一体となって溶け込んでいるので、その稜線さえはっきりしないくらいです。 出来る事なら黒い絵筆で稜線に沿って境界線を1本空に描きたいくらいでした。 西帰浦の地名の由来は、秦の始皇帝が不老長寿の薬を求めて東方へ徐福を遣わし、男女各500人の大船団がこの港に着きました。 そして徐福は西に向かって帰って行くことになり、西帰浦と名付けられたと言うことです。 しかし、似かよった話が日本の八丈島にもあります。 こちらの伝説は 『昔、中国の秦の始皇帝は、家来の徐福に命じて、東方の島にあると伝えられる不老長寿の仙薬を取ってこさせることにしました。 命令を受けた徐福は、童男童女五百人を船に載せて船出したけれど、仙薬はなかなか見つからず、遂に八丈島の南にある青ヶ島に漂着しました。 そこで見つけたのが仙薬 「アシタバ」 です。 しかし、余りにも長い年月が経ちすぎたので、このまま帰っても始皇帝の怒りを買うだけだと思って、そのまま青ヶ島に居着く事になりました。 島の掟によって男女別居が通念となっていた昔の事で、男は青ヶ島に住み、女は八丈島に住みました。』 と言う話です。 韓国の済州島と、日本の八丈島は共通点があまりにも多いのに驚きます。 どちらも絶海の孤島で火山島であり、黒い穴あきの溶岩が多い事。 女が多いと言われている事。 どちらの島にもキジが多いこと。 どちらも昔は流刑地であったこと。 溶岩で出来た火山が天然のダムになって、地下水が伏流水となって出てくるので水に不自由しない事。 風が強い事等など、枚挙にいとまが無いくらいです。 済州島と八丈島は、かなり離れているのに徐福と言う同じ名前の人物。 500人と言う供の数など、あまりにも酷似しているのが不思議です。 |