懐かしいふるさと(1990年4月 62歳)

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誰にでも懐かしいふるさとがあります。 愛ちゃんにとって、それは韓国の済州島です。 兎追いし彼の山 小鮒釣りし 彼の川・・・と、ふるさと の歌にも歌われているように、ふるさと とは自分の生まれ育った土地、幼い日々を豊かな自然と共に過ごした土地を指しているのではないでしょうか! 済州島を訪れるきっかけになったのは、終戦で済州島から日本の各地に引揚げた人達が大勢居て、済州島会を結成し毎年日本の各地で親睦会を開いています。 平成元年、瀬戸大橋を一望出来る岡山県の 『児島ホテル』 で定例の済州島会が開催された時、故郷を訪問したいと言う希望者がかなりあったからです。 それが実現できたのは、翌年の4月でした。 世話役は何度も個人で済州島を訪れている人を団長として、21人の訪問団を結成。 この内、13名は伊丹空港から大韓航空で出発、8名は福岡空港から出発。 韓国の釜山空港で合流しました。 現在は済州島が観光地として開発され、日本各地から済州島への直通便が有りますが、当時は総て釜山経由でした。 参加した人達は定例の済州島会に出席して親交を深めている人達で、総て顔馴染みでした。 参加者は全員、戦前に済州島に居住して引揚げた人達で、終戦から既に45年も過ぎているので、殆どの人達が60歳を越しています。 愛ちゃんが済州島に居住したのは小学生の時で2年余りですが、大多数の人達は、済州島で生まれ育った人達です。 だから望郷の思いも如何ばかりかと察せられます。 当時は今の子供達と違って塾通いもなく、学校から帰宅すると宿題もそっちのけで、友達の家や野山、海岸に遊びに行きました。 住んでいた済州邑は済州島の中心の町で、漁港でもあり、漢拏山(1950m)の広い裾野や小川など自然が豊かで、遊ぶ場所には事欠きませんでした。 懐かしい故郷にもう1度行って見たいと言う望郷の念は人として当然です。 しかしそれが今では 「異国の地」 で自由に行く事が出来ないので、思いは一層つのるばかりでした。
あ〜っ 遂に見えた!! 釜山空港を飛び立った大韓航空機の小さな窓の視野に、朝鮮海峡に浮ぶ巨大な島影の東端が、かすかに飛び込んで来ました。 紛れも無い済州島です。 それは52年ぶりに見る懐かしい故郷の島でした。 人の生涯には、何度となく胸がジ〜ン・・・と熱くなり、思わず感動の涙が滲む瞬間があるものです。 愛ちゃんにとって、その時が正にそうでした。 これは夢ではないだろうか? と疑った程です。 もう1度、子供の頃に過ごした懐かしい済州島に行って見たいと言う切なる思いを抱きながら過ごしてきた長い年月! その念願が、今やっと叶う事が出来たのです。 その島影は、ぐんぐんと大きくなり、やがて中央に済州島のシンボル漢拏山が見えて来ました。 私の脳裏に焼きついている漢拏山は平地から見上げた物で、はるか上空から眺めた物とは大分印象が違いますが、漢拏山に間違いありません、 子供の頃に見た漢拏山は、天高く聳えて、どこからでも同じ山容で眺めていました。 上空から見る漢拏山は、高いと言うよりも、裾野の広いデッカイ山でした。 想い出に残る昭和の初期の済州島は、人口も僅かで鄙びた町だったのに、今、上空から目前に出迎えてくれた故郷は、ビルが林立する大都会でした。 これが、あの済州の町なのかと疑いたくなるほどの変貌ぶりです。 改めて過ぎ去った年月の長さを感じ、当然と認識しました。 小学生だった私が、既に頭に白髪が混じる初老を迎えたのだから、故郷が変貌しても可笑しくは有りません、 でも、昔の面影を偲び、慕っていたのが、あまりの変貌に、一抹の寂しさを感じました |